勢いよく人生が動き出すとき、それは湧き上がり、押し出され、とても受動的。


多可町に行ってきました。多可町まで行くこと、これに付随するこれからのことへの喜びの予感に押しつぶされそうなほど、膨大な情報が流れ込んできています。


ああ、今、久しぶりにまた、何かのスイッチが入ったのだよ。


この感覚はよく知っている。また、大きな流れがきたのだよ。波のようにやってくるから、避けられない。長い間止まっていたから、それが、また、来たのだけはわかる。


錆つきかけた感覚を、また、起こすのかな。怠け者だから、ちょっとめんどくさいなと思う。ごめん。でも、その瞬間、宇宙は、それを見透かして、私を動かすために、ワクワクと、トキメキをふんだんに投与して、エサをばら撒き始める。


私にいろいろわかりやすく、目立つようにサインを送っている人がいて、怠け心を出している脳に対して、どうしようもない喜びの予感を見せ始めてる。


悔しいし、みすみす、その通りになるものか。斜に構えたい。でも、悔しいけど、続かない。楽しそうな予感につんのめる。自ら進んでダイブしてしまう。もう、やられたなー。


私の大好物ばかり並べてくる。それも微細に細かい意識のヒダまで掴んでくる。きっと、私が私に仕組んだか、私が情報を流して仕組まれるように頼んだんだよ。じゃないと、誰だ、そこまで私の記憶のヒダの「好き」を、蘇らせられる奴は。いないじゃないか、私しか。


多可町に行ったことで、全くわかったよ。沢山の楽しい出来事に気づいたよ。だから私はサレンダーしているのよ。


こうなると、私は受け身だ。さっさと諦める。私はあらがわない。そんなことをしたら、エネルギーが消耗してフラフラになって具合が悪くなる。


自動的に委ねることしか選択肢を与えられていない。それは、決して消極的ということではなくて、とても積極的という意味なのだけど、この感覚はいつだって、説明できない。それは自由意志がないということではないの。いつもタイムラグがあると言うことなのだよ。


本当なんだって。私が何かしようと思った時には、もうその結果が先に動いてしまっていて、決まってしまっているから。


いつもちょっとずつ、私の行動が、言葉が先で、そうしようという意思や、決定や決断が時間差でずれて、後からくる。


だから、意識上は私は決定していないの。誰かに動かされてしまう。いや、先にどこかで決定してしまったことを行動して、そして思考があとから自分が決定したかのように私に花を持たせてくれる。


でも、私、気づいちゃった。だって、人前で話す仕事しているから。講演しているときは、言葉が思考より先にでている。脳で自分の言葉に驚いている。カウンセリングや、占星術をしているときは、なおさら、勝手に口が喋る。みんなそうだよね、多かれ少なかれ、そう言う体験はあるはず。


相手が何かを言う前に、私が何をいうが先に決まっていて、私の意思とは関係なしに勝手に言葉が出て来て喋っている。


自分の思考は、自分が喋っている内容を聴きながら、へー、知らなかった、そうだったの、と、思考が後からついてきている。だから、私は自分の言葉を聞いてから、初めて思考で認識したり新しいアイデアに気づくことが多い。


しかも、その時、それを話そうなんて、決断なんかすることはないのだから。意識上にすら上がってないことを、意思決定できないじゃない。


でも、それが、真実よ。人間はそのように作られているのよ。


だから、自分が道具であることに気づいちゃったから、サレンダーしているの。


もちろん、それは、自分の中の大好きな自分にサレンダーしているのであって、誰かや何かを崇拝しているからでもなんでもない。存在は対等だから。究極は自分だから。でもその自分という定義は広い自分だから。


湧き上がるのよね。自分は道具となっている。それは受動的だから、消極的であるとか、人任せに見えるかもしれないが、そんなことは全くなくて、それこそ、最も積極的な勇敢な行為であると思う。


自分を支えているあらゆる意識と溶け合って湧き上がってくる活動。そこには、邪魔なものがあまりくっついていない気がする。とても厳しいけど、純粋で潔くて、はっきりしていて、美しい。


スイッチは自分が決意して入れたのではない。


「私は、あの続きをしたかった、きっと、その続きがはじまったんだね。」という言葉が降りてきた。今から私は、その意味は何かと考えることになる。まだ、予感みたいなものでしか、この意味を思考では理解していない。


感情を使って、ハートを使って、記憶を使って、考えるんだ。なんだこれは、しっくりする答えを探しています。


きっと、ふっとまた、カチっと噛み合う思考が生まれる。


だから、思考停止が直感力ではないの。


考えを止めることが委ねることではないの。


逆なんじゃない、時間のわなに陥っている。これこそ、マーヤ。


そんな言葉が、どんどん降りてくる今日この頃。