​澁谷るみ子プロフィール

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私とアーユルヴェーダの出会いは、1993年、オーストラリアに移住した時でした。

その頃インドはまだ、世界にアーユルヴェーダの扉を開いていませんでした。私自身の準備も整っておらず、本格的にアーユルヴェーダを学ぶ決意をしたのは、2000年、火山の噴火で住んでいた自宅や町が土石流で流されてしまってからでした・・・

アーユルヴェーダとの出会い

私は今でこそ、とても元気で健康なのですが、小さい頃は、骨皮筋子と呼ばれ、虚弱体質で、よく病気をしていました。それに、人生の夢や生き方についても長い間迷子でした。

 

小1の頃から持っていた小学校の先生になる夢は、資格も取って働く学校も決まっていたのに、間際で事情により断念。たまたま最初に受かった証券会社に新卒で就職するも、バブル絶頂と崩壊の激務の中、失神して病院に担ぎ込まれ3年で断念。

 

自分も人も楽しめて、元気が出る仕事がしたい!と思うようになり、英会話ゼロの状態から勉強して、海外旅行のツアーコンダクター(添乗員)になりました。この仕事は向いていて楽しかったのですが、参加者全員の健康と安全を最も気遣う仕事でしたので、旅の最中に看病したり、悩み相談を受けることも多く、旅を楽しむのも人生を楽しむのも、健康あってのものだと痛感していました。

そんな時、代替医療が盛んなオーストラリアに移住することになり、これがアーユルヴェーダと出会うきっかけとなりました。仕事で健康を強く意識していたこと、病弱だった頃に祖母の薬草手当でいつも助けられていた経験もあり、キッチンファーマシーとしても手軽に利用できる薬草療法に長けたアーユルヴェーダに自然と興味を持ちました。

オーストラリアからインドへ

オーストラリアに住んでいた約5年、この間に母と祖母を亡くし、移住前まで住んでいた神戸に大震災が起きました。

 

いろいろ重なり、次第に私は生命についての探求や、インドの聖者や哲学に出会い、繰り返しインドを訪れるようになります。そんな中、アーユルヴェーダが実は哲学と医学が一つになった、高度な生命科学であることも次第に理解できるようになってきました。

 

1994年に、初めてインドのアーユルヴェーダ病院を訪れた際に、医師は丁寧に体質を診断してくださり、食生活の様々なアドバイスと共に、セルフケアや、瞑想やヨーガのやり方まで教えてくれました。

 

そして、私の体質にあった薬草オイルで、2人の施術者がシンクロでオイルマッサージと、症状に合わせた様々な薬草治療を施してくれました。病気でなくても、喜んで行きたくなるこんな病院が「世界にもっとあればいいのに」と強く思ったのを覚えています。ただ、この時はまだ、アーユルヴェーダは憧れで、日本人の私が、手掛けられるものだとは考えも及びませんでした。

 

火山の噴火でアーユルヴェーダに目覚める

その後、日本に帰国することになり、北海道の洞爺湖畔で暮らすも、2000年に有珠山が噴火。家も町もすべてが土石流で流されてしまったのです。

 

私は、火山性地震が頻発したタイミングで湖畔沿いを車で逃げたのですが、すぐに元いた場所あたりから噴煙があがったのを湖ごしに見ていました。本当に危機一髪でした。私の住んでいた場所は、全壊区域となり、長い間立入禁止で1年くらい避難所暮らしをしていました。

そんなある日、全壊区域に入る許可がおり、我が家が奇跡的に少し残っているのを発見しました。そっと分け入ると、灰色の景色の中、いきなり、緑いっぱいのジャングルのような光景が、バッと眼に飛び込んできました。

噴火前に育てていた、薬草やツル植物たちが、噴火の熱気とエネルギーで、なんと、嬉しそうに生い茂っていたのです。「ああこんな、噴火を、喜ぶ力があったのか」と。長い避難所暮らしで無力感いっぱいだった心の雲がスーっと晴れ、破壊と再生を繰り返す命の循環を感じていました。

 

その時ふと、アーユルヴェーダが頭をよぎりました。「そうだ、この生命科学アーユルヴェーダを学び、噴火で助かったこの命を人の役に立つ事に使いたい」と、心が湧きたちました。そんな自分を死ぬまでに見てみたい!と強く決意しました。

この時、私は34歳の主婦、お金も仕事も無くしていました。そんな状況の中、アーユルヴェーダが仕事になるのか、また、年齢やお金や立場など、そんな言い訳やしがらみを全て突破した何かが私の中で芽生えていました。

はじめてのアーユルヴェーダ医学大学

早速アーユルヴェーダについて調べてみると、ちょうどそこから数ヶ月後、インド最高峰のアーユルヴェーダ国立医学大学で、大きな国際医療セミナーがあるとのことで、タイミングよくお誘いをいただくことになりました。

また、1999年より同大学が留学生を受け入れた事を知りました。同大学で歴史上初の留学生受け入れ。これまで完全に門外不出だったアーユルヴェーダの門が開いたということでした。

2001年、国際医療セミナーに参加した折に口利きをしてもらうことができ、滞在を延長して大学院の医療者向けアーユルヴェーダコースでまずは3ヶ月間学ぶことができました。

この時「大学で学びたい!」と本気で思うようになりました。

しかし、日本では、家族を含めた全ての人の反対と、離婚が待っていました。学費を借りる保証人もおらず困っていたところ、噴火の義援金を頂けることになり、それを握りしめてインドに渡った2002年、アーユルヴェーダの医学大学に入学。本格的にアーユルヴェーダを学ぶことができました。本当に嬉しかったです。

インドで一文無しに

問題は、大学は5年半あるのに現金が1年分しかないということでした。次の一手を考える前に過酷な生活環境にやられ、度重なる赤痢や大腸炎で体重は35キロを切った上、原因不明の高熱が続いて、衰弱して動けなくなっていました。

 

また気管支喘息もひどく、熱で痰がゴムのように固まって、呼吸困難を起こします。そんなところをインド人の学生に見つけ出されて大学の偉い先生の自宅まで連れて行かれました。

 

「ぜんぜん熱が下がらないし、学費も払えず、日本に帰るお金もないし」と泣いていたら、先生に奨学金試験を受けるように言われました。

 

しかし、奨学金は入学前の資格なので無理だと答えると「るみ子、インドの本質を知ってるか?」と聞かれました。わたしは知らないと答えると、

 

「インドはいい加減なんだぞ!」と言われました。はい、私もそれだけは知っていました。インド政府の返済不要の奨学金試験にチャレンジしたところ、本来は入学前の資格であるにもかかわらず、なんと(やっぱり?)審査突破!学費全額免除と生活費の支給を受けることもでき、なんとか無事に卒業できました。

 

医療連携で病気の治療

現地は、雨が降らない砂漠型気候で、水と空気が悪く、気温も50度に近くなることもあります。電話もテレビもパソコンもエアコンもないし、停電は1日何回もあり、暑くてもロウソクで勉強する日々でした。

 

留学制度も整っておらず、外国人留学生はたくさん辞めていきました。私も過酷な環境に慣れるまでかなりの時間がかかりました。

 

しかし、アーユルヴェーダと西洋医学の連携治療を受けたわたしはメキメキと元気になり、感染症にもほとんどかからなり、それからはどんどん楽しくなりました。アーユルヴェーダの大学病院は国立なので、入院も含めて誰もが無料で治療を受けられます。私の治療もアーユルヴェーダも西洋医学も、すべて無料で治療してくださいました。

 

アーユルヴェーダの病院は外科もあり、検査や注射や麻酔は、西洋医学のものを使用することもあり医療連携も進んでいます。また、西洋医学の病院でも副作用の少ないアーユルヴェーダの薬剤を使用しているところも多くあります。

 

大学の授業でも、最初の1年半は西洋医学を中心に学び講師も西洋医です。献体解剖の授業も何度もあり、学年末試験では実物のご献体での試験でした。

 

また、病院では、結婚や出産など、人生の岐路では病気でなくても患者さんは病院を訪れます。産婦人科では、医師が占星術師を横に座らせて一緒に診察していました。

アーユルヴェーダの本質

 

ぐちゃぐちゃでカオスのインドでしたが、医療が病気や症状のためだけでなく【人間のため】にあるという生命観の意識の高さにいつも驚かされっぱなしでした。そして、健康の先に若返りや錬金術といった能力開発があり、幸福な人生のためにアーユルヴェーダがあります。

 

アーユルヴェーダがインドのものであるとか、気候が違うとか全く関係ありません。極寒のチベットやモンゴル、赤道に近いインドネシアやスリランカまでもアーユルヴェーダは世界に広く浸透しています。

 

日本人はまだまだ認識が薄いのですが、日本には仏教伝来に伴い多くのアーユルヴェーダが既に根付いています。そうであるとは知らずに、日々の生活で誰もがアーユルヴェーダの智慧をすでに利用しているのです。

中医学や漢方には、アーユルヴェーダのエッセンスがそのまま入っています。今の時代に全ての人に役立つ情報が詰まっていること、それは使い勝手がよく誰もが安全に素早く健康に近づくことができるということがアーユルヴェーダの本質です。

 

 

メッセージ

アーユルヴェーダに出会ってから30年近くになりますが、アーユルヴェーダ医師になるまでの道のりは長く、また、それを自分の健康や人生に応用し、さらには情報を整理して皆さまに伝えるまでも多くの時間を要してきました。時代も関係していたと思います。

アーユルヴェーダ医師となった時にはすでに40歳を超えており、その後鍼灸師になったのも50歳になってからです。私は遅咲きですから、もし何か始めるのに、年齢を気にしている人がいたら、「もう遅い」とあきらめる必要はまったくありません。

「何かをはじめようとしているあなた」「私自身が輝ける場所をさがしているあなた」私が通った道のように遠回りする必要は全くありません。これからは益々時間とスピードが大切になります。

また、何をしていたとしても、過去に体験したことは現在に生かすことができます。

私は今ではアーユルヴェーダの会社を経営し、健康道場、スクール、メディカルツアーやリトリート、治療やカウンセリングなどを行っています。

 

経営は証券会社、スクールは教師を目指した事、ツアーは旅行の添乗員やガイド、病弱だったことは医療にと、過去の全ては今ひとつになって、健康指導の土台に役に立っています。

 

どこにいても、何をしていても、どんな仕事や生き方を選んでも、よりよい人生のためには、誰もが健康はかかせません。最速最短で、道理に沿った健康のエッセンスを受け取って、ご自身でそれを応用しながら会得し、健康で幸せな道に目覚めていく時代です。

しかし、だからこそ言えることがあります。アーユルヴェーダは最古にして最先端であり、現在抱えている多くの社会および個人の問題の突破口になると。これからの医療や、人々の高い健康意識は、やっとアーユルヴェーダに近づいて来るでしょう。

また、人生設計を描く上で、どこに向かえば生き甲斐のある幸福になるのか、全体像や道標は重要です。人生のコンパスです。

私の志と目標は、より良い個人と社会のために、健康管理術を一緒に広めてくれる、アーユルヴェーダの普及に関わる仲間を増やしていくことです。これを活動のエネルギーとして情熱をもって取り組んでいます。

そのために、アーユルヴェーダのセルフケアインストラクター、カウンセラー、セラピスト、講師になるためのスクールの運営も行っています。

多くの卒業生が、それぞれの分野で活躍し、生きがいを持った、輝きを持った人生を送っていらっしゃいます。これから益々アーユルヴェーダの需要が増えていくことは見えています。

 

来るべき時代に備えて日本でのアーユルヴェーダの底上げをすることが私の使命であると考えて、これを私の人生のコンパスに日々アーユルヴェーダの普及に取り組んでいます。

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